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連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.51

反訴第三回口頭弁論 (PART2)

〈そろそろ〉のスタッフに綾子ママが裁判所に呼び出されたことを告げ、出勤したらヴィエントに来るよう伝言を頼んだ。七時過ぎ、表情を強張らせた綾子ママが寒そうに襟元を抑えながら来た。

「ちょっと、どういうこと?」

「怪文書にサインした人の中から、次の裁判で話を聞きましょうということなんだ」

「何で私なの?私は無理だわ。もう一人の方がしっかり話せると思う。それに何で二時なの?朝方まで営業するからその時間はいつも寝ているのに」

「裁判官からの指名だよ。多分、店を明け渡してもらえなかった被害者でもあるからかな。時間は弁護士が決めたんだ。営業前だから大丈夫だろうって」

「もう、勝手に決めないで欲しいわ。何を聞かれるのかしら?」

「テナント会で終了の通知があったかどうか、サインしたのはなぜか、とかかな。心配しなくてもいいよ。弁護士が想定問答集を作って、レクチャーしてくれるはずだから」

「テナント会で話があったかしら?覚えていないけど、話はなかったと思うわ。どれくらいの時間尋問されるの?」

「今日の話では、持ち時間が弁護士それぞれ十五分ずつらしい。裁判官からの質問もあるだろうから三十分ちょっとだと思う」

「胃が痛くなってきたわ。三十分なんて耐えられないわ。無理。絶対行かなきゃ駄目かしら?」

「記憶のままに言えばいいだけだから。緊張するのは当たり前だけど、毅然と法廷に立てるように不安な点は弁護士から聞くといいよ」

「私の証言のせいで裁判が不利になったら、他の店の人たちに申し訳ないわ。どうすればいいんだろう」

「大丈夫。これまで三回書面での審理を重ねてきて、これ以上新証拠も出てこないだろうから、判決を出す前に一応当事者からも話を聞こうということだよ。証言の良し悪しが判決に影響することはないし、結果を皆から責められることもないさ」

嘘を言った。書証だけでは把握できない証人の言動を直接目の前にすることで、裁判官の心証は変わることもある。質問の受け答えの内容だけでなく口調、視線、仕草、など本人の態度全般から嘘を言っているのかどうか、真実は何か、ということが心証形成のために合理的に斟酌される。綾子ママが一ヵ月後の当事者尋問に、平常心で臨めるように今から心の準備をしておかなければならない。おそらく、毎日毎晩悩む日が続くだろう。自分がサインさえしなければ、と後悔の念にさいなまされることもあるだろう。自分が裁判所に証人として出廷することになるなんて普通は誰も考えない。悪いことをしたわけではないのに、裁判所に呼ばれたという事だけで自分が悪いと思い込んでしまうのも無理はない。その日が過ぎるまで、緊張と重圧は日々増していくに違いない。

一方で、綾子ママがサインしたことを露骨に非難する店主もいた。〈サインさえしなければややこしい事にならなかったのに〉〈それで負けたら賠償金を払わなければならないのか〉など、傍聴すらせず、裁判の流れも把握していないくせに勝手に疑心暗鬼になっている。裁判の行方が例え不利に進んだとしても、それは綾子ママの責任ではないということを理解してもらうのに腐心した。被告店舗の誰もが証人尋問される可能性があったことを説明した。証人席に立つことを想像するだけでも綾子ママは頭がいっぱいになるのに、白い眼で周りから見られる心理的な圧迫は耐えがたかっただろう。

綾子ママは、役員や弁護士からレクチャーを何回か受けた。それでも不安は払拭できない。暇を見ては閉店間際にヴィエントに来て、相談を受けることが多くなった。いつも同じ話に終始する。彼女が相談に来るときは、既にお酒が入っていて酔っている。呑まずにはいられない、ということか。その場で話を聞いて納得しても、次の日になると忘れるらしく同じやり取りの繰り返しだ。

「法廷では何を言えばいいの?」

毎回同じことを聞いてくる。その点が一番不安な様子だ。

「意見や思いを述べるのではないから聞かれたことに端的に、短く答えればいい。そうだ、紙に書くからそれだけ憶えればいいよ。話す言葉は五つだけにしよう。〈はい〉〈いいえ〉〈忘れました〉〈分かりません〉〈言っている意味が分かりません〉これだったら大丈夫だろう」

綾子ママはその日から自宅の冷蔵庫に紙を張って、おまじないのように毎日それを見ることにした。見ている間は安心するらしい。

   (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.50

反訴第三回口頭弁論 (PART1)

一月中旬、三回目の口頭弁論が開かれた。弁護士双方が「甲○○号証を示します」と言いながら裁判官を通して証拠書類のやり取りをする。屋台村側の弁護士が、追加で補充したテナントの陳述書を提出しようとした場面になって、裁判官がそれを遮るように言った。

「書証はもう十分でしょう。次回は被告テナントの本人尋問を行いましょう。誰がいいですか?」

と尋ねる。〈判子を押したら訴えを取り下げる〉とミカミが持ってきた怪文書に、迂闊にもサインしてしまった者が二人いた。その内のどちらかを呼びましょうということになった。裁判官に指名されたのは〈そろそろ〉の店主・綾子ママだった。次回日時の打ち合わせになり、何時がいいかという段になった。

「午後二時で」

弁護士は自分のスケジュール帳に眼を落として迷わず言った。

「その時間で今決めてしまって大丈夫ですか」

裁判官が尋ねる。

「ええ、店の開店は夕方からだから、問題ないと思います」

第四回目公判の当事者尋問は二月二十四日午後二時からと決まった。

 私は裁判所を後にして、屋台村へと急いだ。今日の傍聴人は私しかいなかった。いずれ弁護士から聞かされるだろうが、一刻も早く綾子ママ本人と、誰か役員が居れば伝えたいと思った。弁護士に確認した。

「私から次回の尋問について、この後すぐ本人達に伝えてもいいですか」

それは全然問題ないということだった。四時過ぎの屋台村は、まだ出勤している店主も少ない。綾子ママもまだ来ていない。三時から開店している〈鳥将〉に勝子ママと久美ちゃんがいたので、第一報を告げる。彼女たちはびっくりしていた。次に、誰か役員が近くにいないか探してみた。一人と丁度行き会ったので報告しようと声を掛ける。彼は段ボール箱を抱えながら、眼も合わせずに言う。

「今忙しいから、後にしてくれ」

彼は苛立ったように立ち去ろうとする。私は構わず彼の背中に声を投げ掛けた。  

「今、裁判所から帰ってきました。来月当事者尋問が開かれます。二十四日です。綾子ママが指名されました」

彼の足がピタッと止まり、私を振り返る。

「何だって。綾子ママか・・・。何で彼女なんだ」

「怪文書に署名してしまったのは他にもう一人いたそうですが、裁判官の判断で指名されました。三店舗が立ち退かない為に営業できなかった被害者だったということも関係あると思います。これまで書証のやり取りを積み重ねてきて、これ以上新しい事実は出てこないと思われたのでしょう。裁判上、機が熟すと言いますが、大詰めです。後は当事者から直接証言を聞いて結審すると思います」

「綾子ママは天然だからなぁ。相手の誘導尋問に乗らないで上手く対処できるかな・・・」

困った表情で、荷物を抱えたまま考え込んでしまった。怪文書の内容も分からずに、ミカミに言われるままサインしてしまうほどだから、綾子ママは人を疑うことを知らないようだ。自分に不利になるとも知らずに安易に行動することは軽率だとも言える。役員が心配したのはその点だろう。要するに相手のいうことを真に受けてしまう傾向があり、騙されやすいのだ。

                                  (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.49

お客様は幽霊

雪がちらつく正月明けのある晩、ラストオーダーの時間も過ぎて最後のお客様は四十歳位の女性一人だけとなった。重めのボルドーワインをグラスで三杯、ゆっくり時間をかけて味わっている。閉店の時刻となり、彼女が「お会計を・・・」と言い掛けた時、彼女の顔色が変わった。

「あらやだ、スイッチ入っちゃったみたい」

何のことか分からず聞いた。

「居るのよ、ここに」

窓側の壁を指差して怖そうに一点を見つめている。

「飲んでいると、たまにこういうことがあるの。おじいちゃんみたいな人がここに居るのよ。ほら、こっちをじっと見ているわ。嫌だ嫌だ、怖いわ。早く帰らないと。お会計をお願い」

彼女は急いで財布を開いている。

私には何も見えない。そこに居ると指差す壁の方は窓とワインボトルがあるだけだ。彼女の話では、男性は無表情なままじっとこちらを見ているという。そう言われると、見えもしないのにそこに居るような気がしてきた。身体の右半分にゾーっと寒気が走り、怖くなった。

「帰るわ」

急に心細くなった。彼女が帰ったら独りじゃないか。

「ちょっ、ちょっと待ってください」

引き止めるが、彼女はいずれにしろ帰らなくてはならない。

「大丈夫よ。悪さはしないと思うわ。この辺に清めのお塩でも撒いといたらいいわ。怖い怖い」

彼女は首を振りながら店を出て行ってしまった。独りになってしまった。どうしよう。見えないけど怖い。それとも見えないから怖いのか。洗い物もそっちのけで、この場から一秒でも早く立ち去りたくなった。慌てて鍵を閉めながら、言われた場所に塩を撒いた。コックシャツを脱いで着替えようとするが、指が震えてボタンがなかなか嵌らない。

そうしているとどこかで〈ジーッ〉と機械的な音がするではないか。なんだよ、早く帰りたいのに厨房機器の何かがこんなときに故障でもしたのか、と音の発信源を探す。冷蔵庫でもオーブンでもない。もっと下の方だ。備品を置いているワゴンの下段からのようだ。 

見つけてゾッとした。電動のワインオープナーが勝手に動いている。このオープナーは指で押している間だけ廻るタイプで、動作させるにはしっかり押し続けなければならない。しかも勝手に動いているオープナーは備品箱の一番上にあり、何かが触れてスイッチが入っているわけではない。恐々とオープナーを持ち上げた途端、動きはピタッと止まった。真面目にこれはヤバイと思って、シャツのボタンもかけずに鞄を持って出て行こうとした。

次の瞬間、天井から吊るしているワイングラスハンガーの赤ワイングラスが〈カランカラン〉と音を立てて揺れだした。ドアは閉まっているし、換気扇も止まっている。風一つ吹いていない屋台の中で、手も触れていないのにグラスだけが振り子のように揺れている。地震でもない。地震だったら他の白ワイングラスやシャンパングラスも揺れるだろう。身の毛がよだつとはこういうことを言うのだと思った。全身鳥肌が立って、狭い厨房のあちこちにぶつかりながら逃げるように店を飛び出した。

翌日は開店準備に店へ入るのも気が進まなかった。夕方でまだ陽が沈んでいないことだけが救いだった。昨晩の痕跡は店中に大量に撒かれた塩と蹴散らかした什器に残っており、慌てふためいた自分の姿がリアルに浮かぶ。数日間は閉店時間に向かって恐怖が甦ってきたが、お客様におどろおどろしくその時の様子を話すたびに怖さは和らいでいった。悩み事を人に話せば、その重さは半分になるということか。

雪乃さんが来店したときにもその話をした。

「マスター、それってさ、最初にオープナーが動いたんだよね。次にグラスが鳴ったんでしょ。オレにも赤ワイン一杯飲ませろってことだったんじゃないの」

雪乃さんは笑い飛ばした。なるほど、そうかもしれないと思った。

「でもさ、ワインを注いだグラスが持ち上がったらどうする?次の日来てワインが空っぽになっていたらどうする?もっと怖いよ」

同じような現象はその後起きていない。私の話を聞いたお客様が他の屋台で「ヴィエントに幽霊が出たらしい」という噂話をしたらしく、興味を持って来店してくれた方もいる。「幽霊が出た店ってここ?」と興味深そうに扉を開ける人が何人かいた。怖い思いをしたけど、販促に少しは役立ったようだ。

                       (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.48

新年を迎えて

平成二十九年一月二日午後五時、みろく横丁の法被を着た店主らが中央広場に参集した。中居からの新年挨拶があるためだ。

「みろく横丁は十五年目の節目を迎えることができました。私はこの屋台村を日本一にしたい。そのためには、テナントの皆さんの協力が必要です。お客様に真心のこもったおもてなしをして、切磋琢磨して、屋台村を盛り上げていきましょう」

中居が熱く語る中には、何度も何度も〈日本一の屋台村〉と〈テナントの協力〉の言葉が出てくる。

私は以前のテナント会で発言したことを思い出した。

「みろく横丁には三種のお客様がいます。中居社長が全国の自治体などに赴き、屋台村の成功事例として講演活動をすることで拡がる外郭的なお客様。毎日の営業の中で屋台村を期待して訪れ、私たちの店で楽しむエンドユーザーとしてのお客様。

そして、もう一つ大事なお客様は私たちテナントです。テナントがいなければ屋台村の発展は実現できません。テナントは、事務局が理想と考える屋台村を作るために欠かせない存在です。デベロッパーだけでなく、私たちテナントが魅力ある店作りをしなければ、みろく横丁の発展はないということを自負しています。デベロッパーとテナントは相対立するものではなく、相互の理解と協力が必要です。上下関係ではなく、共通の目的実現のために球体となった組織であるべきです」

中居の新年挨拶を聞き、この一年を〈日本一の屋台村〉にするために頑張ろうと思った。挨拶後、皆が散会する間際に一通の文書を中居に手渡した。昨年入店してから疑問に感じていたことや要望を細かく書き記したものだ。

数日後、開店前の店に中居が訪れた。

「あなたは対立するつもりでこれを書いたのか。それとも建設的な意見として書いたのか」

開口一番、中居がこのように切り出した。私は目を見開き、真っ直ぐに中居を見つめながら、抗議するように言った。

「建設的な意見として書いたのに決まっているじゃないですか」

中居は、更に念を押すように私の意図を聞いてくる。

「当たり前です。対立しようなんて意思は毛頭ありません」

私は詰め寄る。

「だったら・・・」

中居は、語調を抑えて話し始めた。

「前にあなたが書いた文書が、私の目に触れる前に他の役員が知ることになった。言いたいことがあったら他に言う前に私へ直接話すことを約束してくれないか」

以前、意見書の下書きを他のテナントへ見せたとき、知らないうちにコピーが出回って中居以外の役員の目に触れたらしい。私は中居にだけ直接話すことを確約した。

「あなたみたいな人は初めてだ。この十四年間、あなたのようなことを言って来た人は一人もいない」

そう言いながら、要望書の項目を一つ一つ回答してくれた。一テナントの立場としては知る必要がないことにまで話は及ぶ。

運営会社「北のグルメ都市」と地権者との契約や、屋台村開設に至るまでの中居の想いと苦労、関係者との調整に悩まされたことなど、肝を割った話を聞くことができた。私が疑問に思っていたことも、納得のいく説明を丁寧にしてくれた。自分の誤解していた部分を恥じ入りながら、中居のことを信頼に足る人物だという思いが強くなった。中居が屋台村にかける情熱が一方ならないことを感じ、立場違えどもその一助になりたいと思った。

「私にできることがあれば、何でもします。販促を積極的に打ち出して、デベロッパーもテナントもお互いプラスになるような企画を一緒に考えませんか」

気がつくと、話し始めて一時間が経っていた。翌日、以前より温めていたアイデイアを販促企画書にまとめ、中居に手渡すことになった。

                       (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.47

 芸術に触れて呑む

屋台村近隣には、ライブハウスや演劇などを楽しめる店や施設が何箇所かある。観に行く人や出演する人が、その前後に屋台村で飲んでいくことも結構ある。

以前の店から利用してくれているタロウさんは、積極的にライブや観劇を楽しんでいる。もう一人、ワイン好きのユキちゃんもそうだ。ジャズ、クラシック、ボサノバ、レゲエ、シャンソン、ロック、フォーク、演劇などのスケジュールが、二人のスマホにはインプットされている。情報が更なる情報を集めるのか、小さな催し物までチェックしているのには驚きだ。ピックアップしたライブに合わせて、その日飲みに行く店を決める。

タロウさんは、始まる前に晩酌セットで軽く飲んでから出掛けることが多いようだ。そして、終わってから再度立ち寄ってくれる。観てきた感想と詳細を楽しそうに話して、余韻に浸りながらお酒を味わう。そのような時間を満喫しているのが羨ましい。

タロウさんとは、屋台を始めてから会話をするようになった。以前の店では、挨拶することはあっても踏み込んだ話をする場面はありえなかった。屋台という空間が、私たちの距離を縮めてくれた。

八戸は、音楽活動が盛んな街だ。南郷区では、毎年夏に「南郷サマージャズフェスティバル」が屋外で催される。世界的なミュージシャンも多数出演する。ファンは日本全国からジャズフェスを観に来て大変盛り上がる。

MJQのデビッド・マシューが、八戸に住んでいたことを知る人はどれくらいいるだろう。七十歳を過ぎても意気盛んで、身近でその演奏に触れることができた。世界的に超有名なジャズピアニストが、小さなライブハウスで地元の少数観客に向かい、熱のこもった演奏を目の前でするなんてなんとも贅沢な話だ。

ジャズのビックバンドグループもあり、ワイン通の久保沢さんたちはその主宰者である。県内のビックバンドグループとコラボして、仕事の傍ら演奏活動に励んでいる。トランペッターの久保沢さんは、あの「米米クラブ」がセミプロだった頃のバンドメンバーだった。

ヨースケは歌を歌うし、雪野さんはロックギタリストだ。近隣で飲食店〈たまに庵のーぼ〉を経営するボサノバ歌手のアンナさんや、テレビのMCを勤めるシャンソン歌手のモトコさんも来店する。多芸多才な人たちと、それを盛り立てて楽しむ人が小さな屋台で肩並べて音楽を語り合う。

この屋台村から、世界に羽ばたくミュージシャンが誕生するのも近い将来現実のものとなるに違いない。

                                   (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.46

 酔っ払いの喧嘩 (PART2)

 三つ目の喧嘩は、旧知の仲の再会場面だった。週末の遅い時間、いつも来る男性が連れを伴って来店した。大分酔っていて声も大きい。彼より先に居た男性が先輩だと気づいたらしい。しばらくぶりに会った二人はお互いに挨拶を交わした。ここまでは良かった。

 後から来た後輩男性が絡むように昔話を始めた。

「あの時、〈信頼できる人だから面倒見てやってくれ〉と言われたけど、あいつはとんでもない奴だった。あんなのを押し付けてきて、大変だったんだ」

 私は他のお客様のオーダーを作るために背中を向けながら聞いていた。声は段々大きくなり、自分の声に興奮するかのように文句を言い続けている。

「裁判沙汰にまでなったんだぞ」

 それまで黙っていた先客の男性が短く言った。

「お前の育て方が悪かったんじゃないの」

 私が〈これはまずい〉と思って振り返ったときと、後輩がグラスの赤ワインを先輩に振りかけたときが同時だった。更に、向かいの店の男性スタッフが先ほどからの声高なやり取りを聞いていて、やはり〈まずい〉と思ったのだろう、直ぐ傍まで駆け寄ってきてくれていた。

 殴り合いになるところを、向かいの店のスタッフと協力して引き離し、必死に抑えた。後輩の興奮と怒りは収まらない。

「マスター、こいつはいつも来るのか?この店が気に入っていたけど、こいつが来るならオレはもう来ない!」

 先輩はワインを拭いながら、椅子に座ったまま何も言わないで堪えている。

 売り言葉に買い言葉。普通なら口論にも発展しないことが、酒が入ると何が起こるか分からない。怒りのスイッチが普段より簡単に起動してしまう。一度感情が爆発してしまうと、それを止めることは難しい。楽しく呑んでいたはずなのに、些細な一言や態度が気に障ってエスカレートしてしまう。酒の功罪は大きい。何事も度を過ぎてはいけないだろう。冷静さを欠いた酔っ払いは、ご退場頂くだけだ。

 後輩が帰った後、先輩はブツブツと文句つけながら「酒をくれ」と言う。もう、差し上げる酒はない。黙って水を置く。彼はそれを飲み干す。また、水を置く。飲み干す。それを五回ほど繰り返した。

「水じゃなくてボウモアちょうだい」

 私は無視して、更に水を置く。

「飲ませる酒はもうない。水飲んで帰りなさい」

 彼は大人しく従ってくれた。

八戸では、行政と横丁連合会がタイアップして〈酔っ払いに愛を〉というテーマのイベントを毎年実施している。私はこのネーミングに違和感を覚える。

〈呑んべぇ〉という言葉は、酒好きに奉げる親しみをこめた表現だと思う。どこか憎めない、ある種の敬意の気持ちすら込めたものだろう。しかし、〈酔っ払い〉はそれとは違う意味があるはずだ。感情のコントロールが利かず、正常な判断能力が減退した状態を指すものではないか。

 酔っ払いには寛大な時代が長く続いた。素面では許されない行為も、酔っているという理由だけで大目に見てきた悪しき社会的風潮があった。昨今、改正道路交通法や危険運転過失致死傷罪などで罰則は強化されてきた。それでも悲惨な事件、事故は止まない。声を上げられないセクハラ、パワハラ被害もあろう。

 自らを心神喪失の状態に置いて犯罪行為に及ぶことを、刑法では〈原因において自由な行為〉という。酌量の余地なく責任能力を認め、問答無用で故意過失を成立させて罪を償わせるのが当然だと思う。

 私に言わせれば、酔っ払いには〈愛を〉ではなく、〈水を〉与えるべきなのだ。

 喧嘩の話はまだ続く。

 深夜、店の外が騒がしいと思ってみると、男性若者グループが五人で言い争いをしているようだ。喧嘩をしているのは二人で、あとの三人はそれを止めようとしている。違う場所で殴り合いをしてきたらしい。一人の口元は血だらけで、歯も折れているようだ。二人とも収まらず、お互いにまだ手を出そうとしている。

 周りの店舗の男性が集まり、引き離し、様子を見る。私は殴られた方の背中をさすり、落ち着かせようとした。二人は互いに譲らず、膠着状態のまま時間が過ぎる。もう限界だ。

「治療が必要だと思うけど、救急車呼ぶ?それとも警察呼ぶか?」

 私が聞くが、二人ともその必要はないという。

「だったら、ここで喧嘩してないで他でやってくれ。ここは私有地だから、いつまでも騒がしいのは迷惑だ。ここから出て行け」

 この一言で収まった。彼らの喧嘩は終わり、横丁から出て行った。

 屋台各店舗には、防犯笛が備え置かれている。営業中に役員はいないし、警備が常駐しているわけでもない。何か問題があったら、私たち屋台店舗従事者が連携して現場対応しなければならない。女性店主一人で営業している屋台もある。不用心なので、困ったときは笛を吹き近隣店舗に助けを求める手筈となっている。つまり、自警団を村民で組織しているわけだ。

 入居してから、この笛が吹かれたのを聴いたことは一度もなかった。月一度のテナント会で、中居がいつも皆に聞く。

「先月、笛を吹いた人。ありませんか。ないですね」

 特に問題はなかったということだ。

 この笛を、私が初めて吹くことになった。

 どこかの店で、顔見知りらしい男性二人が口論になった。若い方は怒りが収まらず、通路で喚いている。年上の方は意に介さず、店で飲み続けているようだ。

 爆発した感情は収まる気配がない。いつまでもうるさくて迷惑極まりない。私は冷静になってもらうために笛を吹こうと思いたった。「何事か」と騒ぎになれば、少しは考え直してくれるのではないかと。

 「ピー、ピッ、ピッ、ピッ、ピー」

 笛を吹きながら通路を奥の方まで歩いた。ぞろぞろ店主らが集まってくる。数の力で制圧できることもあるだろう。しかし、いつまでも喚いているだけで埒が明かない。動こうともしない若者を出て行かせるのに難儀した。店主らは集まったものの、そのうちうるさいだけで大事無いと覚り店に戻ってしまった。

 困った。笛を吹いた責任がある。何とか外に連れ出そうとするが、〈口論の相手と話をさせろ〉の一点張りで言う事を聞かない。

 そのうち責任を感じたのか、年上の口論相手が出てきて彼の肩をポンポンとなだめるように叩き、優しく話しかけた。

「話し聴くからさ、他に行って一緒に飲もう」

 年上の方が冷静さを取り戻してくれたようだ。若い男性は急に大人しくなって、二人で屋台村の外へ出て行った。普段は仲がいいのだろう。些細なことで酒が何かのスイッチを入れてしまったようだ。

 私はくたびれたが、なぜか笛を吹いて気分は爽快だった。笛に従って皆がゾロゾロ集まってきたことが単純に面白かった。

 翌日、〈あんど〉のユウジさんの屋台へ出前に行ったとき、彼は笑いながら言った。

「もう、笛吹かないでくださいね」

「いや、笛吹くの、気持ちよかったよ。毎日吹いてみたいと思った。ユウジさんも吹いてごらんよ」

 彼は笑っている。

「狼少年になりますよ」

「違うよ。狼おじさんさ」

 翌月のテナント会で、いつものように中居が〈笛を吹いた人〉を確認した。私は手を挙げ、説明した。中居は「それは良いことだ」と言った。中居は、月に一回は笛を吹いて集まる訓練をするように村長に指示した。

                      (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.45

 酔っ払いの喧嘩 (PART1)

忘年会や年末年始の帰省客で年の瀬は横丁の通行量も増えるが、好ましくない出来事も増える。飲み慣れない酒を呑んで気分を悪くし、トイレだけならまだしも通路や店の裏口にゲロを吐く人。肩が触れた、触れない、といった言いがかりで殴りあいになる人。さっきまで楽しく呑んでいたと思ったら急に何かのスイッチが入ったように口論になり、掴み合いの喧嘩になる人。

その度に店主や他店のスタッフが止めに入るが、感情的になっているのでなかなか収まらない。揉めている様子は、周りの店舗からも分かるので皆で駆けつけて当事者を引き離すこともしばしばある。それでも収まらないときは、警察へ通報するしかない。

店の中での喧嘩はこれまで何回かあった。最初は夫婦喧嘩だった。九時位にその二人は来店し、酒と食事を次々にオーダーした。カウンターに皿を置くスペースが段々なくなり、男性が注文したスパゲティのボンゴレ・ロッソを私は女性側に置いた。男性は箸を伸ばしパスタを取ろうとしたが、口に運ぶ前にツルッと滑って女性のワンピースにこぼしてしまった。それまで穏やかに寛いでいた雰囲気は、女性の一言で一変する。

「ちょっと、あなた。この服いったい幾らすると思っているのよ。染みが取れないじゃない」

「・・・・」

「なんでパスタを箸で食べるの?フォーク使えばいいでしょうに」

「・・・・」

男性は何も答えず、黙々とパスタを食べている。女性は、私が差し出したおしぼりでポンポンと染み抜きしながら怒っている。

「だから、皿をそっちに持っていって食べたらいいでしょ。買ったばかりの服なのにどうしてくれるのよ」

「・・・・」

男性は全く無視したように、別の料理を注文する。

「一体いつまで食べ続ければ気が済むつもりなの。七時から食べ続けでしょ」

「・・・・」

男性は見事に一言も話さない。他のお客様もいる中、男性は女性を完全無視している。周りのお客様と私は、はらはらしながら見守っているしかない。男性は恥ずかしい筈だ。その照れ隠しの方法は、平然を装うことでやり過ごすことしか見つけられないのだろう。男性が食べ続けている間、女性の小言はずっと続いた。パスタをこぼしてから二十分、全ての料理をやっと食べ終わり、男性は会計をした。まだ女性の文句は収まらない。今日はこの後、何処に出かけるつもりだったのかは知らないが、楽しい筈のひと時が台無しになったのは確かだろう。店の外に出てまでも、女性の怒りと文句は続いている。

二人が出て行った後、他のお客様と私は顔を見合わせて笑いながらホッと溜息をついた。

「一時はどうなるかと思って心配しましたよ」

二人連れの男性客が声を出した。

「空気が凍りついていたからね。あれで旦那さんが何か言おうものなら、手がつけられない喧嘩になっていたと思うよ」

私も安堵して答えた。男性が取り合わなかったから良かったが、家に帰ってから本格的な喧嘩が再燃するのだろうと思った。

二つ目は他人同士の喧嘩だった。暇な平日、誰もいないところに出張の四十代男性が来店した。上機嫌だが酔っている。彼は、屋台村を視察に来た北陸地方の市議会議員と名乗った。中居の講演を聴いた後、屋台を実体験するためにはしご酒をして来たらしい。彼は議員活動の他に会社を経営していて、年商が幾らだとか、聞いてもいない自慢話を一方的に話してくる。そこへ地元の六十歳代男性が一人来店した。自慢話はその男性へも披露された。

「何処から来たんですか」

「○○市です」

後から来た男性は聞いたことがない市のようだった。視察に来た男性は屋台の表に廻り、店頭に張り出された紙を剥がして胸を張って見せた。紙には〈歓迎○○市議会議員御一行様〉とある。今日視察に来る彼らのために、各屋台に掲示しておいたものだ。

「八戸は人口どれくらいですか」

「二十三万人くらいですよ。そちらはどれくらいのところなんですか」

なぜか彼は自尊心を傷つけられたらしい。表情を硬くしながら、

「・・・五万人くらいの小さな田舎ですよ。名刺交換しましょう」

彼は市議会議員と印刷された名刺を〈どうだ〉と言わんばかりにポンと投げつけるようにカウンターへ置いた。地元の男性はそれを丁寧に名刺入れに納め、立ち上がり、腰を少し折って両手で自分の名刺を差し出した。努めて冷静に感情を抑えながら言った。

「失礼ですね。名刺は投げるものではないでしょう」

ここでスイッチが入ってしまった。

「失礼かどうか知らんが、不愉快だ。さっきの名刺返してもらおう」

「では、私の名刺も返してください」

「田舎だと思って馬鹿にしやがって」

「馬鹿になんかしていませんよ」

怒りモードの男性は酔っていて手元も覚束ない。貰ったばかりの名刺が探せず、名刺入れをカウンターにぶちまけた。

「畜生、どこにいった。八戸なんて二度と来るものか」

探すが名刺は出てこない。その間も二人の言い合いは続く。私は間に入った。

「やめてください。もういいでしょう。お帰りになった方がいい」

市議会議員の男性の会計を促した。

彼の勝手な怒りは収まらず、喚きながら扉を強く閉めて立ち去っていった。私は地元の男性に詫びた。男性は気を取り直してワインをお替りしてくれた。大人と子供の喧嘩を見ているような晩だった。

                                    (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.44

ゼロ距離の女性

初対面でも、逢った瞬間相手の懐にいきなり飛び込んでしまうキャラクターの女性客が二人いる。一人はすでに登場した〈リオちゃん〉。もう一人はリオちゃんよりちょっと年上の〈かずみん〉だ。二人の距離の縮め方はいつ見てもびっくりする。出会って三秒足らずで、誰もが以前から知っている仲のようにその魅力に引き込まれてしまう。ボディテリトリーの垣根がないかのような二人を、私は尊敬の念をこめて〈ゼロ距離の女性〉と呼んでいる。

このような女性とは屋台を始めるまで出会ったことがない。純真でありながら、話す言葉は歯に衣着せずにストレート。自分の気持ちに正直で飾り気がない。裏表がなく子供のように無垢。直球勝負一本で繰り出される言葉は本質を鋭く突き、聞き手は一瞬たじろいでしまうこともある。ゼロ距離という点は似ているが、微妙にその方向性は違う。リオちゃんは〈天真爛漫〉、かずみんは〈天衣無縫〉という言葉がぴったりだと思う。

面白いことに、それぞれ数多く来店してくれているのに、二人は一度も店で行き会ったことがなかった。

「もう一人ゼロ距離の女性がいるよ」

と話すと、

「逢ってみたい」

それぞれが口にするのだが、その機会はなかなかやってこないまま年が明けた。

そのタイミングはやっと訪れた。リオちゃんが友人のはづきちゃんと先に来店していた。二人は二週間前に一緒に参加した〈街コン〉での出来事で盛り上がっている。そこへ、かずみんが一人で来店した。

「あっ、ほら、前に話していたもう一人の〈ゼロ距離の女性〉だよ」

私は二人をそれぞれ紹介した。一瞬、微妙な緊張感が二人に走った。〈自分とどこが似ているのだろう〉とお互いに様子を伺う雰囲気が可笑しかった。タイプは違っても、人懐っこさは変わらない。簡単な挨拶の後は直ぐに会話が弾んでいった。

男の好みについてリオちゃんがはづきちゃんに語っている。

「私、デブはいいけど禿は駄目」

「そう?禿は許せる。帽子被ればいいじゃない。それよりデブと背が低い人は駄目。私、身長あるからさ、一緒に並んで歩けない」

「デブもぽっちゃりはいいけど、ブヨブヨは嫌だな」

容姿についての好みは様々だ。かずみんが会計を済ませて立ち上がり、赤のカシミアワンピースの上にコートを着ながら会話に割り込んだ。

「男なんてセックスしてみなきゃ分からないわよ。股をガバッと開いてさ、フェロモン出しまくってセックスしてみなきゃ」

かずみんは、立ったまま両膝を開くポーズをとってリオちゃんたちに見せた。他に居合わせたカップルも、リオちゃんも、あけすけなかずみんの行動にびっくりした。

「マスター、下ネタ言ってまーす」

リオちゃんが冗談っぽく訴えるが、かずみんは意に介した様子もなく、隣のカップルの男性へ矛先を向ける。

「セックスするでしょ。しないの?」

突然の問いかけに男性は戸惑った。

「え、いや・・・」

男性は言葉を濁す。かずみんの言葉は容赦ない。

「勃たないの?セックスするよね。セックスは大事よ。男の好み云々に拘っていてもしょうがないわ。まず、セックスしてみるべきよ。セックスしてみなきゃ相手のことなんて分からないじゃない」

皆、かずみんの言葉にタジタジとなってしまった。正論であり、暴論でもある。誰もが内心抱いている本音をあからさまに口に出され、リオちゃんでも言い返すことができなかった。外見に拘っていても相手を理解することなんてできない。相手が自分に相応しい人かどうかは、相手を知らなければ分かりっこない。自分を知ってもらい、相手を知るためにセックスは大事だという論理だ。

婚活相手のカードを一瞥しただけで右から左に切り捨てるのは、出会いのチャンスを自ら放棄しているようなものだと言いたかったのだろう。心が通い合って信頼できる相手かどうかを見極めることが大事だよ、と気づかせてあげたかったに違いない。

〈心〉の話を短絡的に〈セックス〉へ変換してしまうのが、かずみんらしいと思った。

その後、リオちゃんとはづきちゃんは、おでんが美味しい〈マンキ食堂〉へ梯子酒しに行った。

それから三十分位経っただろうか、リオちゃんが突然戻ってきた。

「ワーッ、六十歳の還暦おばちゃんに〈年増〉って言われたー」

ボロボロ泣きながら叫ぶように訴える。ティッシュが何枚あっても足りない。こんなに涙を流すリオちゃんを見るのは初めてだ。

〈マンキ食堂〉で東京から来たという親子と行き会ったらしい。二十代の息子とリオちゃんが会話していたら、〈あなたみたいな年増の女は、ウチの息子と仲良くして欲しくない〉みたいなことをその母親から言われたらしい。

「還暦過ぎのおばちゃんに、・・・ヒック・・・年増って・・・、ヒック・・・ショック・・・」

リオちゃんの涙が止まらない。こんなに泣かせるなんて許せない、と拳を握り締めた。文句を言いに行こうかと一瞬考えた。その思いを踏みとどまり、リオちゃんに言った。

「気にするな。〈お前に言われたくない〉って言い返してやれ。親子仲が良いか知らんが、失礼すぎる。二十代の息子のお守りするように屋台で飲んでいる方がキモイって。次、何か言われたらすぐにおいで。文句つけに行ってやるから」

リオちゃんは落ち着きを取り戻し、はづきちゃんが待っている〈マンキ食堂〉に戻った。

閉店時間になるまでリオちゃんは来なかった。ゴミ捨てに行くとき、隣の〈うまっこい~ちゃん〉でリオちゃんが笑いながら飲んでいるのを見た。さっきのことは何もなかったかのように、ケロッとした顔で楽しんでいる。私に気づいて笑顔で手を振ってよこした。

リカバリーが早い。さすがリオちゃんだ。これで安心して帰れる。

                                    (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.43

 反訴第二回口頭弁論

十二月十三日、二回目の公判が開かれた。傍聴人は私の他一名だけだった。裁判官が前回の〈不法行為の特定〉について相手方弁護士に尋ねる。不法行為の対象は、でっち上げによる裁判に付き合わされたことの精神的苦痛と慰謝料、そして弁護士費用であるという説明だった。裁判官は、多少いらいらしているように見受けられた。

「弁護士費用を含んだ損害賠償を求めるということで宜しいのですか」

強めの口調で裁判官は正した。

双方から証拠書証のやり取りが裁判所書記官、裁判官を通して何度か行われた。公開法廷なのに傍聴している限りでは文書の詳細が把握できず、流れも分からない。十五分ほどで審理は終わり、次回は年明けの一月中旬に開かれることになった。

                                     (続く)

連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.42

独りではしご酒

五十代の男性アッキーこと阿久津さんは、毎週土曜日の開店早々訪れる。両親の介護のため三年前に東京から実家へ戻った。自宅で仕事しながら、病院への送り迎えなど日常の世話を一人でこなしている。一週間篭って仕事をするご褒美に、土曜だけ明るいうちからはしご酒を楽しむことにしているそうだ。日常から開放され、リフレッシュする時間をもたなければ今の生活を続けられない、としみじみ語ってくれた。

金本さんは、夏は風流に作務衣姿で涼みながらはしご酒を楽しむ四十代の男性。十年も前からみろく横丁に通う〈主〉とも言うべき存在で博識な方だ。屋台村の歴史やエピソードなど、色々なことを教えてくれる。その場を盛り上げるのが上手で、観光で来た方には朝市や八戸の魅力を余すことなく熱く語ってくれる。傍で聞いていると、八戸を愛していることがよく伝わってくる。観光で来た方も、彼の話を聞いて満足のようだ。

「八戸の人って、皆八戸が大好きなんですね。優しい人ばっかりで八戸最高!」

はしご酒を楽しむアッキーと金本さんは、共に今は独身である。アッキーは伴侶を得ることを、両親の介護という現実を前にして諦めたという。介護の重労働を伴侶に担わせるのは申し訳なさ過ぎてできないと考えている。いずれ、老々介護となることは分かっているが、自分がいなければ生きられない親の面倒を見続けることに何のためらいも迷いもない。それが家族の在り方であり、自分の生き方だという信念を持っている。そして、その日常の中に彼の幸せがある。いずれ来る〈看取り〉の日まで今の〈幸せ〉は続くのだろう。

金本さんは近い将来、家庭を築く日が来ることを待ち望んでいる。仕事に忙殺されてなかなか出逢いの機会を得られないでいるが、時運に身を任せる他ないことも分かっている。

男女の出逢いの機微は日常に潜んでいながら、それに気づかないまますれ違いとなることも多い。女性のお客様にも、同様の想いを忍ばせている方が沢山いる。皆が出逢いを求めて屋台に来るわけではないが、職場と家の往復をするだけではその機会すら得ることもないだろう。自分の世界を広げるために〈外〉へ飛び出すことは必要なことだ。もし、屋台で巡り会って結婚するカップルが誕生したとすれば、何て素敵なことだろうと想像する。

みろく横丁では、貸し切りのウエディングプランも用意している。過去、通路にバージンロードを敷き詰めて挙式を上げたカップルもいたそうだ。その後十数年、カップルは誕生していない。もし屋台村を舞台にした婚活パーティーを企画したら、それに期待する人は多いのではないか。イベントとして考える価値はありそうだ。

                                    (続く)

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