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連載小説「黄昏と暁のみろく横丁」 shot.63

祝杯

当事者尋問のあったこの日の夜、閉店間際に綾子ママが店に来た。必ず来るだろうと思って待っていた。他にお客様はいない。綾子ママはいつものボルドーワインを注文する。

「一杯飲んでよ」

私は生ビールを注ぎ、綾子ママとカウンター越しにグラスを重ねた。

「乾杯。やっと終わったね」

「あれで本当によかったの?」

裁判所で聞かれたことと同じ言葉を繰り返す。

「嘘一つもつかなかったじゃないか。立派だったよ。もう、これで終わったから。よく頑張ったね」

綾子ママはボロボロと泣き始めた。

「辛かったのよ。足はカクカク震えるし。胃は痛いし。私のせいで裁判に負けたらどうしようかと・・・」

「大丈夫。綾子ママにしかできない証言だった。よくこらえたね。裁判官から質問があった〈陳述書〉の署名のことは、逆に相手方の主張を矛盾に陥れることに成功したよ。記憶のままに証言した以上、偽証罪に問われることもない。もし判決が不当なものだったとしても、それは証言のせいではなくて、あくまでも法律上の問題だから綾子ママに責任は全くないよ。そのことは中居さんから皆に説明してもらうようにお願いするから」

綾子ママは、少し落ち着きを取り戻しワインのお替りする。

「裁判所から出るとき、あいつらが寄ってきたのよ。〈どうなるか、分かっているんだろうな〉って脅されたわ。怖いわ」

「それは脅迫になる。少なくても判決が出るまでは何も起こらないよ。そんなことをしたら判決に影響してしまう」

私はTらに待ち伏せされたことを話した。

「大丈夫なの?」

「心配要らないさ。法律を盾にする。何かあったら警察にも相談して徹底的に立ち向かう。一歩も引くつもりはないよ」

「あのとき背中を押してくれたから、気持ちが前に出たの。あれで踏ん切りがついたわ。居てくれなかったらどうなっていたか分からない。ありがとう」

「今まで一緒に考えて、悩んで、やっと今日に辿り着いたね。毎日裁判のことばっかり考えてきて、今日終わってみたらすっきりはしたけど、もう考える必要がなくなったんだと思うと、なぜかちょっと寂しい気がする」

「実は裁判所に行く前に、ワインを一杯飲んできたの。気付けよ」

「はは、しょうがないね。まあ、無事終わったからいいか」

二人で笑った。

スピーカーからは、チャックマンジョーネの〈フィール・ソー・グッド〉の軽快なトランペットが流れている。これから何が起こるか分からないが、そんなことはどうでもいい。二人で頭を寄せ合って苦悩の日々を過ごしてきたことを、他の店の人は知らない。こうやって笑える日が来ることを信じて待っていた。

「遅くなってしまったわ。お会計を」

「要らない。今日は祝杯だから。本当に良かった」

綾子ママは何杯飲んだだろう。昨日までの自棄酒とは違い、今日のワインは美味しかったに違いない。少し足元をふらつかせながら上機嫌で帰っていった。

                                  (続く)

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